3月12日、戸倉三山に行って、さんざんな目に遭いました。 と言うほどのことはありませんが、帰りの東武東上線では乗っている電車が人身事故を起こし(電車が被害者かナ)、電車が止まってしまいました。折角早く歩いて予定より1時間短縮したのに、パーになりました。 戸倉三山は臼杵山、市道山そして刈寄山を言います。臼杵山と市道山は檜原村とあきる野市の境に、刈寄山は八王子市に近いあきる野市にある低山です。でも、それぞれの山の間は数十メートルの起伏がたくさんあり、ある人によると累計高低差は1400mにも達するそうです。 この三山縦走は、2月に山の仲間が計画して誘ってくれたのですが、残念ながら雨で中止になりました。折角計画してくれたので、かみさんと『天気の良い日に行こう』と決めていた山です。天気予報と天気図を見ていましたが、丁度12日が好天になり用事もなかったのでこの日に行くことにしました。 今回の行程:- 武蔵五日市駅 =(バス)= 元郷 ⇒ TVアンテナ1 ⇒ TVアンテナ2 ⇒ 臼杵神社(臼杵山北峰) ⇒ 臼杵山山頂(臼杵山南峰) ⇒ 市道山 ⇒ 鉄塔1 ⇒ 鳥切場(とっきりば)(森久保峠) ⇒ 鉄塔2 ⇒ 入山峠 ⇒ 刈寄山 ⇒ 今熊山(今熊神社本殿) ⇒ 今熊神社(遙拝殿) ⇒ 今熊山登山口バス停 =(バス)= 武蔵五日市駅 3月12日 若葉駅から5時51分の電車に乗る。西武線で拝島まで行きJRで武蔵五日市まで。ここからは元郷まで西東京バスに揺られる。バスには大分沢山乗っているが、登山の格好をした人は我々のほかに一人だけで、他の人はお勤めの人が多い。 元郷に着くと、バス停のすぐ横に大きな『臼杵山登山口』と書いた看板が立っていた。狭い路地を入っていくようだ。 階段を登っていくとすぐに急坂の山道に入る。先日の強風のためかかなり荒れたているように感じた。 しばらくは杉の植樹の中を歩く。やがて主尾根に取り付く。周りはまだ冬枯れの木々ばかりである。枯れ木の向こうに採石場の白い山肌が見える。急坂は続くがやがて笹原を歩くことになる。 一時間も歩くとアンテナの立っている所に付く。普通の家庭用のアンテナのようであるが中継しているのであろうか。 そのまま進んでいくと右手に木々の間から富士山が見えた。近くの山に遮られているため頂上付近しか見えない。前方には双耳峰の山が見えるが、これが臼杵山かどうかはよく分からない。山道は時折小高い頂きを通り、相変わらず急坂である。にもかかわらず、この山道は檜原村ではハイキングコースらしい。そんな看板が立っていた。 すぐに二つ目のテレビ中継所がある。こちらはそれらしい建物が建っており、表示もある。ここまで来れば臼杵山はすぐである。途中に笹平への分岐がある。この路は臼杵神社への参道であるが、山道と殆ど変わらないようである。そして、臼杵山の北峰に到着した。 ここには臼杵神社がある。養蚕の神様らしい。神社の狛犬がすごい!とぼけた形態をしており、心を和ませてくれる。かみさんはこれをワニだという。じぇんとるまんは豚だと思った。インターネットで見てみると、カバだという人もいる。本当は繭を守るための猫らしい。 挨拶だけをして次の南峰へ行く。5分もせずに山頂に着く。立派な標識がある。展望は殆どないが、北の方のみであきる野市の街並みが見える。 しばらく休んで市道山へ向かう。約650mまで、200mほど降る。ここも急坂である。 降り始めたら急にクシャミが出てきた。今まで忘れていたが、じぇんとるまんは花粉症だった。杉林の中を歩いているのだから、いままでクシャミが出なかったのが不思議である。でもその後もあまり出なかった。 いくつかの起伏を通って長い降りを最低鞍部(620m)まで降りきると、今度は急坂の上り返しである。降りよりも短い距離で795mまで登る。これはなかなかなものです。ところがかみさんはかなりのピッチで登ります。じぇんとるまんは遅れないようにやっとの思いで付いていくだけ。約1時間20分の格闘後、市道山に到着した。ちょうちょうが迎えてくれた。生まれたばかりだろうか、ヨチヨチ飛び(ヨチヨチ歩き?)している。春は間近だ。頂上は広くはない。日だまりで昼食にする。食事をしていると二人連れのご婦人が登ってきた。考えてみれば、きょう始めて会う登山者である。笹平から登ってきて、これから臼杵山に向かうそうである。 昼食を済ませて刈寄山に向かう。刈寄山まで5.1kmである。基本的には降るが、途中に50m足らずの起伏がいくつもある。これが登りも降りも急な坂で膝が軋む。かみさんは調子がよいようで、鍋割山の時とは全く違ってスイスイ歩く。どうしたんだろう。最後には登らずにまき道を歩くことにした。お陰で第一の赤い鉄塔は木の間から覗くことになってしまった。 ここから少し行ったところで鳥切場を経て森久保・関場と書いた看板がある。鳥切場がどういうところか行ってみたくなりそちらの方に向かう。が、ちょっと行ったところで鳥切場という名前は消え、刈寄山・今熊山と森久保・関場への分岐の道標がある。多分ここが鳥切場(森久保峠)だと勝手に決めて、刈寄山方面に向かう。(後で調べたら、この上の小高いところに鳥切場の標識があるらしい。しかし、ほかの情報ではその標識のあるところではなく我々が勝手に思っているところが鳥切場(森久保峠)だと言っているものもある。) 里山の低山には地図にはない色々な踏み跡があるし、地元の人がつけた印もある。道に迷わないようにしなければ、と思う。 10分ほど行くと、前方に第二の鉄塔が見えてきた。国土地理院で言う入山峠である。この場所は、今では『旧』になるそうで、これから少し行ったところが最近の入山峠だそうである。因みにこれらの鉄塔は、自分が今どの辺りに来ているかを知る上で貴重な情報になる。しかし、国土地理院の電子地形図には残念ながら記載されていない。 それはさておき、さらに10分ほどで入山峠(新)に着いた。ここで、一端林道に出る。林道を横切って再び山道に入る。刈寄山まで500m足らずである。 刈寄山の山頂には四阿があった。但し、中のベンチは壊れかけていた。あきる野の街が春霞に霞んで見えていた。 一休みして今熊山に向かう。この辺りからしっかりした歩きやすい降りの路になる。右手に石切場を見ながら1時間ほど歩くと今熊山に着く。石段を登ると今熊開運稲荷神社があり、さらに登ると立派な今熊神社が祀ってありここが山頂である。きょうの登山も最後に近づいていることもあり、無事に終了することをお願いする。 さて、かみさんがスイスイ歩くものだから予定よりも大分早くに着いた。このままもう少し頑張ると1時間早いバスに乗れそうである。かみさんにそのことを伝えると、さらに急ぎ始めた。山道にしては荒れた急坂を降る。降りが苦手のかみさんも、かなり速いペースである。今熊神社の遙拝殿を経て舗装道路に降り立つ。この遙拝殿のほうが上の本殿よりも立派な作りである。 ここから15分足らずで今熊山登山口バス停に着いた。15時43分であった。バスは1時間に1本で、毎時49分発である。間に合った。予定よりも1時間短縮した。後で聞いた話では、「体調も良いので最初から1時間早く終了するように頑張った」そうである。 バスは5分ほど遅れて着いた。これに乗って帰宅の途につく。 帰りは丁度よく拝島から川越までの直通があった。まだ明るいうちに家に着く。 が、鶴ヶ島のほんの少し手前で急停車した。事故発生。人身事故らしい。『人身事故のため、発車までしばらくお待ちください。』とのこと。この『しばらく』が曲者である。『しばらく』は人によって長さは違う。人身事故だと1時間は止まっているだろう。すぐに諦めた。 ほぼ40分後に動き出した。1時間短縮した時間は簡単に吹っ飛んでしまった。結局家に着いたのは暗くなってからであった。
まっ、事故が自分たちでなく、無事に家に着いたことを「良し」としましょう。天気にも恵まれた一日でした。昨日(3/13)、今日(3/14)と強風が吹きまくっていますが、当日は殆ど風もなく春めいた暖かい一日でしたので、山歩きには最高の天気でした。 それにしても、侮ったわけではありませんがかなりきつい縦走でした。七峰縦走とまではいきませんが、それなりに体力を消耗する登山でした。
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