コーヒーブレイク

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2015/10/12 15:38:51
【山歩記】鳥海山(二日目)

 10月06日から08日まで、二泊三日で山形県と秋田県の県境にある鳥海山に登ってきました。
 今回は山仲間に誘って頂き、かみさんも含めて7人でした。


 今回の行程(予定):-
 一日目(10/06)

 某公園集合 = 鶴ヶ島IC =(関越道)= 高崎JCT =(北関東道)= 岩舟JCT =(東北道)= 村田JCT =(山形道)= 月山IC =(一般道112号線)= 湯殿山IC = 鶴岡JCT =(日本海東北道)= 酒田みなとIC =(一般道7号線、215号線)= 大平山荘(泊)
 二日目(10/07)
 大平山荘 = 大平登山口 ⇒ 河原宿 ⇒ 御浜小屋 ⇒ 御田ヶ原 ⇒ 七五三掛 ⇒ 御室 ⇒ 新山 ⇒ 行者岳 ⇒ 伏拝岳 ⇒ 文殊岳 ⇒ 七五三掛 ⇒ 御田ヶ原 ⇒ 鳥海湖 ⇒ 長坂道分岐 ⇒ 河原宿 ⇒ 大平登山口 = ホテル満光園(泊)
 三日目(10/08)
 ホテル満光園 =日本海沿岸を新潟へ(一般道112号線、県道50号線、7号線)= 荒川胎内IC =(日本海東北道)= 新潟中央JCT =(北陸道)= 長岡JCT =(関越道)= 鶴ヶ島IC
  

 二日目:10月07日(水)晴れ 山頂は霧と強風
 昨夜、予定では5時出発だったが、行程が長丁場であることから下山時刻のことを考えて4時30分に出発することにした。まだ外は真っ暗だが、星は空一面に輝いている。今日も晴天だ。しかし、気温は思ったほど低くないようだが、風が大分吹いていて体感温度は低い。
 車に乗り、大平登山口まで5分ほどで着く。まだ明けやらぬ中で、ヘッドランプを点けて歩き出す(4:36)。登山道は石の階段状になっている。林の中を急登が続く。だが、歩き始めのためか、周りが暗くて見えないせいか、この急登はさほど気にならない。急に周りが開けて、見晴台に着いた(5:21)。一休みしよう。
 この辺りの日の出は5時35分頃であるが、太陽は山の向こうから昇る。従って、陽が当たるのはずっと遅くなる。薄暗い中に日本海が広がる。下の方には海岸線が見え、左に遊佐町、右手ににかほ市の田圃が白く広がっている。そしてその手前のなだらかな丘は錦に色づき、眼下には、先ほどまでいた大平山荘が小さく白く目立っていた。薄暗い中にも、広々とした広大な景色を満喫する。
 しばらくして腰を上げる。ここからはゆるやかな登りで、ゴロ石の道が続く。周りは少し過ぎた草黄葉が広がっている。15分ほどで清水大神に到着。本来水場ではあるが、今は涸れて一滴も流れていなかった。さらに進むと、時折海岸線が見える。下界は既に明るく、暖かい陽が射している。
 6時17分に河原宿を通過する。河原宿は案内書によると水場らしいがここも水場らしき気配さえ見られない。
 ここからの登山道は、ゴロ石を並べた石畳である。よくこれだけ石を並べて整備したものだと感心する。そして、5分もすると鳥海湖と御浜への分岐になる。御浜への道を取る。少し行ったところに石が積んであり、その天辺にお地蔵さんが祀られていた。ここで朝食にする。既に、先に見える丘(?)は陽が射している。しかし、我々の元にはその陽はまだ届かない。と言うより、このまま行くとあの尾根の陰になって、あの尾根まで登り着かないと、陽に当たることはないようだ。日陰の子達は悲しい。
 朝食を終え、石畳の愛宕坂を上っていくと、御浜に着く。7時04分だった。ここで鉾立登山口からの登山道と合流する。ここには御浜小屋があるが9月に今年の営業を終え、避難小屋として機能している。中は整理され、綺麗に片付けられていた。また、御浜神社もある。ここで一本入れる。見晴らしは抜群である。遠く日本海はもちろん、遊佐の街も見える。さらに遠くに、ぼんやりとではあるが男鹿半島も見えていた。下を見ると丸い鳥海湖が青く清んでいる。振り返ると、行く手に新山と七高山の双耳を有した鳥海山も見えてきた。ここから見る鳥海山は、遠くから見る優雅な姿ではなく、鋸歯状の険しそうな山頂を呈している。
 しばらくして立ち上がる。相変わらず緩やかな坂が続く。正面には鳥海山が段々とその姿を現してきた。ひと登りして、下ったところが御田ヶ原である(7:30)。すぐに鳥海湖への道を分ける。さらに20分ほど八丁坂を上っていくと七五三掛(しめかけ)に着いた。7時59分だった。外輪山の尾根の一角に取り付いたことになる。ここからは今まで見えていた尾根の反対側、遊佐町の北端が見えてくる。ずっと奥の方には秋田県のにかほ市が見える。
 七五三掛は崩落しており、その修復と新しい登山道を造るために工事が行われていた。ここは千蛇谷(せんじゃだに)と外輪山方面への分岐である。我々は千蛇谷の方に向かう。工事中の木道の脇を通り先に進むと長くはないが梯子もあり、さらにキレットらしきものもあって、今回の中では新山への岩場とともに核心部の一つである。一つ間違えば、奈落の底まで落ちていく。さぞかし痛いだろう(生きていれば)。この核心部を用心しながら通る。右側の外輪山の中腹には、作業員が新しい登山道を造っていた。前方には岩ばかりの千蛇谷が鳥海山の方に伸びている。千蛇谷へ降りて、沢を岩に書かれたペンキの印を探しながら対岸に渡る。これからが大変である。山頂まではかなりの急登である。息を弾ませながらゴロ石の道を滑らないように渡り歩く。七五三掛から約1時間45分掛かって、やっと御室に着いた。丁度10時だった。が、風が強い。さらに霧まで出てきた。
 一休みして大物忌神社(おおものいみじんじゃ)にお参りし、安全な山行を祈願する。
 じっとしていると寒い。しばらくして新山に向かう。新山の前に立つと岩を積み上げたような山である。ペンキで書かれた白い矢印が点々と上の方に繋がっている。これを辿っていくのだ。『さあ、登ろう!あの頂きへ!!!』とは言うものの、遮るものが無い中で、冷たい風にさらされて登っていかなければならない。頑張らなくっちゃ!
 岩を四肢駆動で登る。尖った岩にぶつからないように、滑らないように用心しながら足もさることながら手も使い、四つん這いになって登る。登りが一段落付いたところで一旦下る。この降りは岩に挟まれた狭いところで、所謂切り通しである。下から吹き上げる風がものすごく強い。先頭を行くFさんが、『こりゃ無理だ!』と。見ていると彼のズボンがはためいている(はた迷惑とは違います)。次に登ったIさんの服もバタバタと。じぇんとるまんも行ってみると、進むにはかなり危険が伴いそうだ。結局Fさんの『歳相応の登山をしよう』との判断で、残念ながら退却することになった。
 かなり用心しながら、霧の中を岩を掴みながら下る。登るときよりも霧は深くなり危険が伴う。やっとの思いで、全員が無事に御室に戻ってきた。
 寒い!!!冷たい風で手が悴んでくる。昼食にしよう。と言っても風を避ける場所がない。避難小屋として解放してある御室の小屋に入る。既に2名の先客がいた。中は綺麗に片付いている。靴を脱いで上がって店を広げる。床が湿って何となく冷え冷えとする。まっ、風が避けられるだけでも良いか。山荘で作ってもらったおにぎりを頬張る。保温ポットからお湯を注いで飲むと、お腹の中も暖まり幸せな感じ。
 昼食も終わり再び外に出る。もちろん風は止んではいないし、霧も相変わらずである。その中を、下山開始。ここからはMさんが先頭を歩く。
 外輪山の尾根沿いに下山する。岩場を登って尾根に取り付く。左に行くと七高山だが、これもパスする。右の方の行者ヶ岳の方に下山する。こちらも梯子などもある。Mさんの足は速い。健脚である。なかなか着いて行けなくて、間がかなり空くこともある。尾根を歩くので風が強い。しかし、登山道はゴロ石もあまりなく、今までよりもずっと歩きやすい。
 行者岳を過ぎると(11:56)、短いが馬の背のようなところがある。風の通り道になっているようで、千蛇が谷から吹き上げる風が強い。背を屈めないと飛ばされてしまいそうな強い風で、危険さえ感じる。風の弱まった隙にそれぞれ渡った。その先には道端にあるハイマツには、エビの氷が白く張り付いていた。
伏拝岳への途中にケルンのように積んだ石の上に観音様が祀ってあり、さらに石祠があった。今回のコースには、流石に信仰の山らしく、至る所に石祠が祀ってある。そして伏拝岳に到着。12時09分だった。伏拝岳は湯の台と御浜の分岐であり、迷うことが多いという。ここで湯の台の方へ行ったら大変なことになる。注意しながら御浜の方に折れる。次は文殊岳である。前方にはこれから辿る尾根が一望できる。30分も歩くと先行するMさん、Iさんが文殊岳の山頂に立っているのが小さく見える。相変わらず速い足取りである。我々もすぐに追いついて一休みする。振り返ると今まで歩いて来た尾根がよく見える。その尾根と鳥海山に挟まれた千蛇谷もよく分かる。鳥海山の山頂は相変わらず風が強いのだろう。短時間のうちに、霧に包まれたり、晴れたりの繰り返しである。振り返って七五三掛の方を見ると、新しい登山道を造っている様子もよく見えた。よくあの急な傾斜で作業が出来るものだと感心する。山頂で集合写真を撮ることが出来なかったので、ここで鳥海山山頂をバックに集合写真を撮る。じぇんとるまんは、また残念で悔しい思いが戻って来てしまった。
しばらく休んだのち、歩き出す。今度は危険な箇所を通ることもなく、20分ほどで七五三掛に着いた。13時01分だった。時間的には予定通り順調に進んでいる。
 後は、登るときと同じ道を御田ヶ原へ向かう。御田ヶ原は鳥海湖を通る道と御浜へ向かう道の分岐である。鳥海湖の方は色々と分岐が多く道に迷いやすいと言うことで、登るときと同じ道を下山することになった。そして御浜へ。八丁坂を下って、それからの扇子森への登り返しが結構きつい。それでもMさんは足早に登る。後にいたYTさんがじぇんとるまんを追い抜いて、大きく手を振りながらこれに続く。なかなかの健脚である。それにかみさん、Iさんが続いていく。じぇんとるまんも頑張るが追いつくことは出来なかった。扇子森からは鳥海湖がよく見えていた。もう一度降ると御浜である(14:03)。
 水飲み休憩のみで、先を急ぐ。相変わらずMさんは早くIさん、かみさんが続いていく。しか~し、一寸待った!ここは鉾立登山口と大平登山口の分岐である。先の3人は鉾立登山口の方に向かってしまった。『オーイ!そっちは違うぞ!戻って来ーい!!!』。随分先まで行ったお三人方は、やっと聞こえたと見えて戻って来た。そして左の方の大平登山口の道を取った。良かった~!!!尤も、鉾立登山口に下りても、舗装道路を1時間も下れば大平登山口に通じているが・・・。
 河原宿を経て、ゆるゆると下る大平の平原が随分と長い。道端には葉が落ちきって真っ赤な実のみが付いているナナカマドがあるが、ほとんど同じ景色である。そろそろ飽きてきた頃に見晴台に着く(15:01)。下には白い大平山荘が見える。心なしか紅葉が幾分進んでいるように見えた。
 一休みして下山を続ける。ここからは林の中に入り、急坂を降る。朝暗くて見えなかったが、綺麗な紅葉のトンネルだ。ここではナナカマドも葉は赤く実は真っ赤に色づいている。黄色に輝くのは何と言う木だろう。急坂の辛さも忘れてしまった(本当は忘れることなんか出来ません。足はガクガクで、かなり膝に来ていました)
 つらく長い急坂を降って、やっと登山口に着いた。15時35分だった。新山の山頂に登らなかった時間を差し引いて、予定通りの到着だった。駐車場には青、黒、白の3台の車が温和しく待っている。もちろんそのうちの2台は我々の車である。
 周りを見ると紅葉がすばらしい。つい集合写真を撮りたくなり、紅葉の山をバックに集合写真を撮った。
 これから今日の宿、鶴岡市のホテル満光園に向かう。満光園では一風呂浴びて汗を流し、ゆっくりしてから夕食となる。この夕食が豪華なものでビックリした。山に登に来て、こんなに豪勢な食事とは・・・。お金は足りただろうか、などと野暮なことはよそう。美味しく頂くことにする。
 食後はもちろん部屋で二次会である。明日は帰るのみである。夜遅くまで今日の山行の様子を話ながら過ごした。寝床に着いたのは23時頃だったと思う。
 それではゆっくりお休みなさい!