T&T Room

本、音楽、酒など思いつくままに...。
 
2014/06/10 23:11:40
大盛・荒川・宮田又
 朝8時頃にホテルを出て協和町(現大仙市)大盛館へ向かう。かつて大盛小学校があった場所で、自分も60年近く前はここに立っていたことがある。通っていた小さな小学校と大盛小学校の合同運動会で、滝廉太郎の”花”(春のうららの隅田川)の音楽が流れていたことを鮮明に覚えている。

 大盛館に入ってしばし年配の女性係員の方と話しをする。以前電話で話をしたことのあるホリマスさんが今日の担当だったが、急遽田植をすることとなり交替したらしい。宮田又については詳しくなかった。
 許可をいただいて館内に展示されている写真などを写真に撮る。初めて見る写真もあり、それらを撮影した。古い写真は上手く撮れないこともあり、帰ってきてから確認するともうちょっと丁寧に撮れば良かったかと後悔もある。しかし、かつて住んでいた社宅などを繋げた写真は貴重である。自分だけが保有している写真もきっと資料的価値はあるはず。それに、気になっていた『協和の鉱山と松田解子文学を伝える会会報』を全20冊目を通すことができた。秋田県立図書館では9割が書庫に入っていて自由に閲覧できないので、ここで済ますことは大きな時間節約となった。

 協和町の中心鉱山であった荒川鉱山跡を簡単に眺め、その後、宮田又鉱山の社宅があった地域に移動した。徳瀬集落から凸凹の狭い道に入り、3km近く進むとそこは杉林のなかでしかない。57年前に離れた地である。杉林の中に踏み入れれば社宅の痕跡も確認できるであろうが、自分一人で周囲には誰もいないし、草は伸び放題になっているし、探検めいたことをする勇気はなかった。

 写真は左から①②③と番号を付すと、①は徳瀬集落に建てられている宮田又鉱山の歴史と案内。大仙市教育委員会とあるから最近のものである。②は社宅のあった地を進んで突き当たりの分岐で、左に行くと更に山中に入り、右方面におおよそ1km歩くと宮田又鉱山の選鉱所などの鉱山設備があった場所に着く。③はかつて鉱山の社宅やその他の付帯設備が存在した一部で、写真の突き当たり右側にかつて住んでいた社宅があった。34年前に来たときはこの杉林はなくてかつての住居跡を思い出すこともできたであろうが(同行した父親が懐かしそうであった)、その当時の自分は全く興味がなく、いま思えばもっとキチンとした、全貌が判る写真を撮っておけば良かったと今になって思う。