母の詩(その2) たっぶり汗を流した暑い夏のおかげで、二週間早く 稲の出来秋を迎え、わが家の水田五eの収穫が終っ た。 水田で働くのは息子夫婦で、私は孫のお守り の間にあぜ道の草取りをする程度だが、例年のこと ながら、新米をいただく時はうれしさと感動を覚え る。機械化したとはいえ、お米には八十八回の手間 暇がかかっているのだ。 炊飯器から湯気と新米の生々しい新鮮な香りが部 屋いっぱいに広がる。食文化も変わり、おいしい物 が自由に手に入る時代だが、私が新米を最初に食べ る時のおかずは決まっている。 まずは焼いたサケと豆腐にネギを放したみそ汁、 ナスの若漬け。平凡ながら、満足できるわが家の食 習慣である。真っ白いフワフワご飯をゆっくりかみ、 家族で批評し合う。 息子夫婦は「これにのりと、しようゆ漬けのイクラ が出れば最高だなー」。三歳の孫でさえ新米を味わ う意味を知ってか知らずか、「僕は、カレー」と 意見を出す。 都会では、自分の好きな食べ物をコンビニで買い、 一人で食べる若者がいるという。 それでも、そんな若者の大半は、おにぎりを求めて いるとテレビで見てホッとした。塩味だけのおにぎ りに、なぜ人気があるのだろう。何かしら心が落ち 着くようにも思える。 私も今度、新米でおにぎりをにぎろう。 日々見上げる大雪山系に初冠雪があった。美しい 紅葉がチラホラ舞うころには、わが家で作った新米 の昧が広く知れ渡るだろう。
1999年10月3日 北海道新聞「生活」に掲載
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