暑い夏の紺碧と入道雲の空、8月15日を3日ほど過ぎてから、静けさの中に妙にセミの鳴き声が大きく聞こえたような記憶がある。 進駐軍(アメリカ軍)が、4号国道をカービン銃などで武装したジープを先頭に、粛々と真剣な面持ちで宇都宮59連隊の方面に進む車列を、好奇心旺盛なわれわれ軍国少年(ガキども)は、垣根や玄関の隙間からコワゴワと眺めていた。
2学期が始まってからが大変。今までの価値観がガラガラポンで変わって、先生たちは気の毒なくらいドタバタしていた。 教科書を墨で削しながら(天皇、軍隊、サムライなどの価値観を否定)使用し、わら半紙に謄写版で刷った教科書を使った時期もあつった。 『てふてふ⇒⇒っちょうちょ、どぜう⇒⇒どじょう』のように、旧仮名づかいから新かなづかいへと、われわれ子どもたちは、直ぐに馴染んだが、大人たちは大変だったようです。
当時、焼け野原にうなだれる日本人ばかりではなく、虚脱から醒め、ある人はアメリカに復讐を誓う、敵を討ってやる。また、反面、早くもアメリカと商売を考え金儲けを企む人などなど。 敗戦後、多くの国民の「がむしゃらな努力」があったからこそ、今の日本があると思いたい。
我が国の平和と民主主義、そして現政権が憲法改定をしようとしている「現憲法」は、与えられたものではなく、自ら獲得したものであると堅く信じたい。 今年の八月は、実家と亡き姉や弟、そしてご先祖様のお盆参りに行って、静かに想うところがありました。 家族・友人知人・自分のことを大切に、過去・現在・未来の事を静かに考えるように(出来るかな?)努めたいと。 |